火気厳禁のハングル畑でつかまえて

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半地下のオタクがK-POPを語るブログ

20190518/『ボン♡キュッ♡ボンは彼のモノ♡』MVに見るアイドルと資本主義の関係

Yeah. アイドルがバイトルのCMしてる世の中。彼女たちは労働者代表か、それとも搾取する側か。堂々とした喋りに相当なネタでも少々辛口。騒々しい都会のストリートから、自室、PC前にスムースイン。おっと、当ブログはスマートフォンからの閲覧は推奨しておりません。ゆるっとファッションブランドを立ち上げた火気厳禁がお送りする「前口上と〆挨拶」、今夜は上坂すみれさんの新曲「ボン♡キュッ♡ボンは彼のモノ♡」のMVの分析から、写真論、アイドルと資本主義まで早回しの三枚がけでお届け。彼女は労働者代表か、それとも搾取する側か。アイドルはソビエトで遊ぶ。ならば資本主義は未だ有効か? 今夜の一曲目は、Flying Lotusの新曲、「Fire is Coming feat. David Lynch」。悪魔崇拝疑似科学は似ている。

 


Flying Lotus - Fire Is Coming feat. David Lynch

 

はい。「前口上と〆挨拶」、今夜もお相手は火気厳禁です。ということで、今回は上坂すみれさんの新曲MVから、アイドルってどういう存在なのか。ということを考えていく回です。以前特殊な形で豊田萌絵さんの写真集について考察しましたが、今回はこの口語的な文体でやってみようと思います。

まず上坂すみれさんとは、1991年生まれの声優さんです。声優としては2012年デビュー、翌年アーティストとして「七つの海よりキミの海」でデビューします。今回分析する「ボン♡キュッ♡ボンは彼のモノ♡」は彼女の八枚目のシングルで、ミュージシャン清竜人氏プロデュースによるもの。アニメ「なんでここに先生が!?」とのタイアップシングルであり、アニメのテイストを受け詞は90年代アイドル、おニャン子クラブなどを想起させるようなお色気テイストの入ったアイドルソング、といった感じでしょうか。

さてそんな今作のMVについて。ざっくり流れを説明する前に聴いて頂きましょうかね。ということで今夜の二曲目は、「ボン♡キュッ♡ボンは彼のモノ♡」。どうぞ。

 


上坂すみれ「ボン♡キュッ♡ボンは彼のモノ♡」Music Video

 

はい。今夜は「ボン・キュッ・ボンは彼のモノ」の衒学的分析、ということでMVを見て頂きました。僕はこの中に、アイドルと資本主義の関係を成り立たせるキーワードを見て取りました。それは「写真」です。

 

 このMVは、小学校中~高学年の男の子三人が河原でグラビア雑誌(というかエロ本)を見つけるところから始まります。上坂すみれさんはその雑誌の被写体として登場。男の子三人はめくるめく白昼夢の世界にいざなわれる、という筋立て。

特に注目せざるを得なかったポイントは、二番サビ(MV 2:29~)の少年たちが上坂さんをポラロイドカメラで撮影するシーンです。

ソンタグの写真論を引くまでもなく、「写真を撮る」という行為はその場で起きている事象、被写体、時間などを固定して、所有出来る形に直す、という意味があります。少年たちによる撮影という行為は、異性に対する欲望(ここでは性欲とは表現しないでおきます)を物的に還元している、と言い換えられる。この映像表現でショッキングなポイントは、少年たちによって、アイドル産業の受け手、つまりオタクの欲望がカリカチュアライズされているように見える点です。

実際に、実体のある女性(ここでは上坂すみれさん)を、少年たちはファインダーを通して見、撮影する。つまり、生身の女性を「窓」を通して見ることでその身体性を希薄にさせ、あまつさえ写真という装置を使って所有、収集しようとする。(「窓」から少年たちが上坂さんを窃視するシーンもありますが、そもそも彼らは雑誌を見てるわけなので、身体性の希薄な官能表現、というものが前提としてあるわけです。)これはアイドル産業の、生身の人間である本人と、本人の表象としてのアイドル像の微妙なギャップ、後者を消費するオタク。という基本構造を如実に示しているのではないでしょうか。

僕は決して、そういった構造を「搾取」と断罪するつもりはないし、構造に無自覚に取り込まれている消費者に対して、そこから降りるように言いたいわけでもなく、アイドルという存在が、如何に我々の行動や言動で簡単に崩れてしまうような脆い構造の上に成り立っているか、ということに意識的でなければならない。ということをここに記しておきます。

 

僕の記憶の限りでは、上坂すみれさんは元々アーティストデビューするつもりは毛頭なく、レコード会社から話があったきっかけで「どうせなら頑張ろう」と活動を決意した、とラジオか何かで話していたと思います。過去、様々な経緯がありましたが、今もアイドル的にファム・ファタールを演じる彼女を見ると、実際の彼女と、アイドルとしての彼女はやはり別の位相に存在し、演じることによる記号の操作という意味で、普段とは違う表情を見せる彼女は非常にアイドル的である、アイドル的になった、と僕は思いました。

先に挙げたアイドルの存在を支える構造、生身の主体としての人物と、その表象としての仮想の(表象の)、キャラクターとしての人物は、別の位相にありながら表裏一体であり、相互作用があると考えています。我々が見ているアイドルは彼/彼女の表象に過ぎず、しかしその表象は生身の、実際に生きている彼/彼女に根付いたものである。という解釈は、我々オタクが、アイドル産業の享受者が、アイドルに対してどのように接するべきか?という問題に対して一定の指針になりうると僕は考えます。

 

ということで、今週はこのあたりで。最後の曲は、PRODUCE48「PICK ME」。選ばれたいアイドルと選びたい我々の、資本によって結ばれる幸せな関係。来週もお楽しみに。

 


[ENG sub] PRODUCE48 [최초공개] 프로듀스48_내꺼야(PICK ME) Performance 180615 EP.0